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明治維新150周年 成し遂げた一つの理由

 

平成30年は、明治元年より150年となります。幕末期には多くの勤皇の志士達が活躍しました。

 

当時、徳川幕府は、全国の諸大名が朝廷と接触することを厳しく制限していましたが、毛利家だけは例外でした。

 

毛利家や長井家は、平城天皇や、その御子 阿保親王の子孫であり、

 

全国諸大名の中でも、屈指の”皇族系大名”であったためです。

 

 

毛利家は、勤皇であり朝廷へ献金し経済的援助を行っており、朝廷から厚い信頼があったそうです。

 

毛利家の家臣の方々も、その"皇族系大名の毛利家家臣"であることに”誇り”を持っていたと言われています。

 

遡れば、一つの日本の歴史史上最大の転換期である、天下分け目の戦い”関が原の戦い”で、西軍総大将であった毛利家が敗北してしまい、勝者の徳川幕府からの処分として、中国地方全域の領地から、2ヶ国(周防・長門)のみの領地、現山口県(長州藩)へと厳封されてしまいました。

 

同時に、敗北による領地2ヶ国への厳封の処分が下された毛利家は、それまでいた沢山の家臣を大リストラせざるを得ませんでした。毛利家としても家臣を雇えなくなり、沢山の方々が離れざるを得なかったと聞いております。その後も、徳川幕府から、いつ取り潰されてもおかしくないという立場の外様大名として監視され、幕府との間に緊張状態が続きました。

 

政治については、古来の奈良時代や平安時代等は、”天皇を中心とした政治”でしたが、鎌倉時代や江戸時代等は、”将軍家(武家)を中心とした政治”が執り行われていました。

 

 

このような歴史的背景などがあり、

 

”倒幕”

 

”王政復古”

 

そして、

 

私達は"皇族系大名の毛利家家臣"であるという、”誇り”が、

 

 

再び、”王政復古”及び”天皇を中心とした中央集権国家”へと導き、

 

”明治維新”という新たな日本の歴史史上最大の転換期を迎えました。

 

 

この”誇り”が、成し遂げた”一つの理由”と言われております。

 

 

下の画像は毛利家と同じくする、兄弟の長井家(当家)の家系図です。

 

平城天皇→阿保親王→大江広元公(公家)へとなり、大江流派が始まりました。

 

ここから毛利家や長井家(長井家も旧大名家です)の歴史が始まります。

 

これが”皇族系大名”と言われる由縁です。

 

万一、記載内容につきまして大げさな内容、誤りや勘違い等がありましたらご了承下さい。

 

 

 

 

 

※因みに直系ではありません(傍系です)。

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