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vegebal kyushu

 

少し前ですが、ベジバル キュウシュウで食事してきました。

 

お洒落やのぉ〜〜〜

 

http://www.orto-cafe.com/information/

 

 

 

 

 

 

 

 

カルディ

 

コーヒーを始め、世界各国の輸入食料品が購入ができる、

 

大人気のカルディコーヒーファームが、

 

ゆめタウン山口にあるので、

 

助かるのぉ〜〜〜

 

http://www.kaldi.co.jp/

 

 

5位のところは、パクチーのインスタントラーメン

 

 

 

 

 

 

 

山形県長井市

 

山形県にある長井市の長井という地名は、諸説ありますが、長井家からという説があります。

 

他には、この地に長い川などがあるので長井の説もあります(こちらの方が有力だと思います)。

 

かつて長井家は、山形県にある、米沢城の城主として、米沢市や長井市など周辺地域を領地としていました。

 

当時、東北の雄である大名家の伊達家(有名な伊達政宗)からの度重なる侵攻があり、最終的には、長井家は領地を護ることができませんでした。

 

とても残念ですが、今度、訪れてみたい場所です。

 

※米沢城は、大名家の米沢藩藩主:上杉家(有名な上杉謙信)の居城として有名だと思います。

 

下記は、長井市にて、大江長井氏の特集をしていただいております。大名家の長州藩藩主:毛利家も同じく大江毛利氏となります。

 

万一、歴史の内容が史実と異なる場合はご了承下さい。

 

 

蔦谷家電

 

先日オープンした、蔦谷(ツタヤ)家電へ行ってきました。

 

広島駅周辺の再開発されたエリアにあります。

 

通常取り扱いのないお洒落な家電製品やセレクトされた雑貨、インテリアや本がずらりと並ぶ空間です。

 

イスにすわり本を読んだり、インテリア、雑貨や家電製品を見学したり、新しい洗練された空間でした。

 

https://edion-tsutaya-electrics.jp/hiroshima/

 

https://my.edion.jp/info/cm.php

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、最近完成した、

 

中国、四国、九州地方で一番の高さを誇るタワーマンション(52階建て)を、

 

下から眺めてみました〜(笑)。

 

うっ、高いぜ〜(笑)。

 

http://www.sumitomo-rd-mansion.jp/chugoku/hiroshima/

 

 

花燃ゆ 2 毛利・長井家系図(更改)

 

 

長井家(当家)の家系図を少しご紹介したいと思います。

流派:大江流

本姓:大江

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E6%B0%8F

大名家である毛利家や長井家は大江流となり同族となります。
大江流毛利家、大江流長井家という感じです。

 

長井家

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E4%BA%95%E6%B0%8F


さて、当家の家系図は毛利家、長井家などそれぞれが列記してありますが、昔の文字で何が書いてあるのか意味がよくわかりません(笑)。


流派の始祖 大江 廣元公 
毛利家や長井家の父です。


長井家の始祖 長井 時廣公
毛利家のお兄さんとなります。

長井家も、全国の複数の地域で、お殿様をさせていただいたそうです。


毛利家の始祖 毛利 李光公。
元祖から毛利家と長井家は兄弟であり、毛利家は長井家の弟となります。



途中、大大名となった、3本の矢で有名なカリスマ、毛利 元就公(もうり もとなり)が登場します。
中国地方を制覇し、広島市の原形を造ったと言われております。
また、NHK大河ドラマ”毛利元就”の主人公にもな
りました。
”百万一心”今も受け継がれています。



毛利 元就氏の3人の子:1本の矢は簡単に折れるけど、3本の矢がまとまるとなかなか折れない有名な話の”3本の矢”

長男の毛利 隆元公。

 

女子と記載してあるのは、長女の五龍姫、宍戸隆家公と結婚(長州藩 筆頭家老を務めた宍戸家)


次男の毛利 元春公、後の吉川 元春公、養子で吉川家へ。

吉川家は岩国藩のお殿様です。



3男の毛利 隆景公、養子として小早川家へ、後の小早川 隆景公。

小早川 隆景公は伊予(愛媛)のお殿様でもありました



初代長州藩 藩主 毛利 輝元公 毛利元就公の孫
関が原の戦いで敗れはしましたが、西軍の総大将となりました。
そして、長州藩はここから始まりました。

 

 



その後の毛利家や、長井家の一家が名を変え、長州藩の筆頭家老及び永代家老職を勤めた毛利福原家(大江姓長井流)なども少し登場してきます。

毛利福原家は宇部のお殿様です。

その前は、吉敷(現:山口市)のお殿様です。吉敷毛利家(毛利家分家)が吉敷の担当となったため、毛利福原家は宇部が担当になりました。



歴史に詳しい方は、大江姓長井流であることから、福原=長井と認識されている方もいらっしゃったり、福原家は”実質の長井家”と認識されている方もいらっしゃるようです。

 

福原家
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%8A%B8%E7%A6%8F%E5%8E%9F%E6%B0%8F

同族のため、毛利→長井、長井→毛利、毛利→福原、福原→毛利、福原→長井、長井→福原という行き来があったのかも知れません。
かつては、毛利福原家、毛利長井家と言われていたらしいです(真偽の程はわかりません)。

 

また、色々と多く紹介されている内の一例となりますが、宇部市のホームページなどでも毛利家、福原家、長井家が、少しですが紹介されています。

 

福原家文書について 宇部市ホームページ

http://www.city.ube.yamaguchi.jp/kyouyou/rekishi/library/fukubarakemonjo.html

 

紹介について 宇部市ホームページ

http://www.city.ube.yamaguchi.jp/kyouyou/rekishi/uberekishi/edo1.html

 

宇部市様をはじめ、色々とご紹介有難うございます。厚くお礼申し上げます。

 

 

当家の流れは、関が原の戦いで破れ、中国地方8カ国から現山口県の周防国と長門国の2カ国に減封され、現在の広島県より山口県へ毛利家と共に移ってきました。その後、下関市長府などゆかりがあるらしいです。長府の城内にある毛利家や長井家の屋敷を古図(いつのものかわかりません)でみたことがあります。

 

 

治維新以降は東京へ移り住み、現在は東京本家となっております。家系図においては、某機関にて大切に保管されています。昭和の途中で分家が、東京から山口の地へ移り住み、山口の皆様にお世話になっております。まだしばらくは、山口の地でお世話になりそうです(笑)。


万一、記載の内容が事実と異なる場合や誤りがある場合はご了承下さい。

 

平成のお殿様でした(笑)。