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毛利道場

 

周南市にある毛利家末裔の毛利昭彦様が代表を務める、毛利道場様へお邪魔しました。

 

Tシャツやタオル等の、

 

打、投、極のマークが、

 

失神しそうなほどめちゃくちゃカッコいい、、、、、

 

大切に使います。

 

毛利道場様URL

http://mouridojo.com/

 

毛利道場様の更なるご活躍とご発展をお祈り致します。

 

 

 

 

 

 

 

BVLGARI IL CAFE

 

ハイブランド カフェのブルガリ イル カフェへお邪魔しました。

 

さすが、一流ブランドです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヤマダ118 山田家本陣跡 テナント募集

 

山口市の人口(19.5万人位)だけでは決して人口が多くはありませんが、

 

隣接している市(宇部市16.4万人位、周南市14.4万人位、防府市11.7万人位、萩市4.5万人位、美祢市2.5万人位)を含めると70万人近くの商圏となります。

 

 

ビームス、ユナイテッドアローズ、ビューティ&ユース、シップス、イエナ、トゥモローランド、ナノユニバースなどの有名セレクトショップや、

 

インテリア・雑貨のフランフランなど

 

山口市へご出店いただき、山口市を盛上げていただきたいです。

 

”ヤマダ118”、”山口井筒屋(百貨店)”さんなどへのご出店のお問い合わせをお待ちしております。

 

ヤマダ118のテナント様募集URL

http://www.nagaifudousan.com/category/chintai/index.php?x-vew=1&bid[]=591

 

http://www.nagaifudousan.com/category/chintai/index.php?x-vew=1&bid[]=591

 

〜テナントビル:ヤマダ118につきまして〜

山口市商店街の山口井筒屋前(百貨店)には、かつて名門 山田家の”山田家本陣”があり、長州藩の藩主であった毛利家が、萩から江戸へ参勤交代で行き来する際に宿泊していました。現在その本陣は解体されありませんが、平成や令和時代の“山田家本陣”として、“YAMADA118”がここにあります。その建物に沿うアーケード通りは、“萩往還”と称された御成道です。山口市商店街の長い歴史や時代と共に変化し、山口市商店街の中心的な役割を担ってきた建物の“YAMADA118“です。現在も山口市の史跡として、長州藩の藩主が宿泊していた“山田家本陣跡”として語り継がれている由緒ある場所です。



山口市の一大イベントとして、約600年前の室町時代より現在まで継承されている夏の風物詩 “山口七夕ちょうちんまつり”が山口市商店街及びその周辺で開催され、毎年多くの人で賑わいます。日本三大火祭りの一つとされ、一つ一つの提灯に灯された数万個のちょうちんが周囲を紅色に染め、当建物から眺める光景は幻想的で格別かもしれません。ほかにも山口市商店街及びその周辺で開催される市民総踊りや、お神輿を担ぐ山口祇園祭など伝統あるイベントが毎年開催されております。

 

 


また、当建物は、山口市のシンボルである山口井筒屋(百貨店)が目の前にあり、山口市商店街のコア的な位置となります。山口市商店街及びその周辺で年間を通して開催されるイベントや催事は、山口井筒屋前の場所を発信地とされることもあり、当建物の大きな美しい曲線のガラス面からイベントごとの季節の移り変わりや人々の流れを感じ取れそうです。共用部分の天然のトップライトの光と、優雅な曲線の階段が2階へと誘ってくれそうです。少々大げさかもしれませんが、求心的でありパワースポット的な場所なのかも知れません。これからご入居される方々が、山口市商店街のコア的立場として牽引されご発展されることを願ってやみません。万一、記載内容に大げさな内容、勘違いや誤り等がある場合はご了承下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

明治150年記念 長州藩 代表家紋

 

毛利家の先祖となる、平城天皇の御子:阿保親王へ与えられた称号が”一品”でした。

 

阿保親王は、”一品親王”と呼ばれていたそうです。

 

その、”一品”の意味としては、

 

”一”は、一番乗りなど、人に先んじることを意味し、 

 

”品”は、武運を司る神を表す将軍星:オリオン座の真ん中に並ぶ三つ星を指すそうです。

 

この”一品”を図化したものが、毛利家、大江一族や長州藩の代表家紋へとなっていくのです。

 

万一、記載内容に誤りや勘違い等がある場合はご了承下さい。

 

同じく、長井家の家系図です。

 

 

 

 

          

   ↓

 

 

明治維新150周年 成し遂げた一つの理由

 

平成30年は、明治維新より150年となり記念すべき年となります。

 

当時、徳川幕府は、全国の諸大名が朝廷と接触することを厳しく制限していましたが、毛利家だけは例外でした。

 

毛利家(長井家も同じです)は、平城天皇や、その御子 阿保親王の子孫であり、

 

全国諸大名の中でも、屈指の”皇族系大名”であったためです。

 

 

毛利家は、勤皇であり朝廷へ献金し経済的援助を行っており、朝廷から厚い信頼があったそうです。

 

毛利家の家臣の方々も、その"皇族系大名の毛利家家臣"であることに”誇り”を持っていたと言われています。

 

遡れば、一つの日本の歴史史上最大の転換期である、天下分け目の戦い”関が原の戦い”で、西軍総大将であった毛利家が敗北してしまい、勝者の徳川幕府からの処分として、中国地方全域8ヶ国の領地から、2ヶ国(周防・長門)のみの領地、現山口県(長州藩)へと厳封されてしまいました。

 

同時に、敗北による領地2ヶ国への厳封の処分が下された毛利家は、それまでいた沢山の家臣を大リストラせざるを得ませんでした。毛利家としても家臣を雇えなくなり、沢山の方々が離れざるを得なかったと聞いております。その後も、徳川幕府から、いつ取り潰されてもおかしくないという立場の外様大名として監視され、幕府との間に緊張状態が続きました。

 

政治については、古来の奈良時代や平安時代等は、”天皇を中心とした政治”でしたが、鎌倉時代や江戸時代等は、”将軍家(武家)を中心とした政治”が執り行われていました。その江戸時代については、徳川将軍家(武家)による徳川幕府が統治をしていました。

 

 

このような歴史的背景などがあり、

 

”討幕”

 

”王政復古”

 

そして、

 

私達は"皇族系大名の毛利家家臣"であるという、”誇り”が、

 

 

再び、”王政復古”及び”天皇を中心とした中央集権国家”へと導き、

 

”明治維新”という新たな日本の歴史史上最大の転換期を迎えました。

 

 

この”誇り”が、成し遂げた”一つの理由”と言われております。

 

 

下の画像は毛利家と同じくする、兄弟の長井家(当家)の家系図です。

 

平城天皇→阿保親王→大江広元公(公家)へとなり、大江流派が始まりました。

 

ここから毛利家や長井家(長井家も旧大名家です)の歴史が始まります。

 

これが”皇族系大名”と言われる由縁です。

 

万一、記載内容につきまして大げさな内容、誤りや勘違い等がありましたらご了承下さい。